朱鷺の杜(IBIS)ブログ

情報論的学習理論(IBIS)に関する管理人の独断と偏見に満ちた意見

RAAG のことなど

電子情報通信学会の特集号「学習・最適化における大規模アルゴリズム」の編集作業が
ほぼ終了しました。 7月掲載予定です。 詳細については出版されてからまた書こうと思います。

あと、しましまさんから教えてもらったのですが、新たに岩波本に関する感想が出ていました。 sesejun さんブログです。
内容的には著者の意図をきちんとくんでくださった上に、いろいろほめていただいており一安心。 ただ、例題がないという欠点が指摘されています。 確かにその辺りの気配りが少々足りないような気はします。 このシリーズは教科書というよりは読み物的なものとして企画されたので、ある程度は仕方ないのですが、できればサポートページでも補っていきたいと思います
(ただし、それ以前にサポートページの更新をさぼっているのであまり風呂敷を広げて大丈夫?という話はありますが...)

追記:その後のsesejun さんのエントリー 線形回帰、カーネル線形回帰をRで実装するがすばらしすぎます.
サポートページからリンクを張ってお茶を濁そうかと^^;;;

さて、特集号に話を戻すと、この手の仕事ははじめてだったのですが、特集号は、ふだん事務局がやる編集作業をすべてやることができる(しなければならない)というすごい仕様になっており、
その大変さを思い知らされました。 まあそれはともかく忙しい中ボランティアで引き受けてくださった査読委員の方々、編集委員の方々には感謝の気持ちでいっぱいです。

そしてもちろん投稿していただいた方々にも感謝です。 結果的に非常に厳しい採択率になってしまいましたが、不採録になった論文も(私の個人的な意見ですが)かなりレベルの高いものが多かったように思います。 
今までにも何度も書いていますが査読というシステムは改善の余地が多いと思います。

・編集委員・査読委員に異常に負担がかかる。
 査読システムをなくして研究に打ち込めば今の何倍も研究が進むでしょう。 査読は時間がかかる割にモチベーションもわかず、ついつい後回しになり、気づくとすごくたまってしまうという悪循環に陥ります。 そもそも論文の内容についての責任は著者が取るべきだから、査読委員は新規性とか有効性とかに点数をつけるだけで十分という気がします。 それだけでずいぶん負担が減ると思います。

・判定基準が委員や分野によってまちまち。
 特集号などでは、ある程度編集委員会で意志の疎通が図れますが、通常はたまたま当たった査読委員や編集委員の個人的な基準にかなり左右されます。 また、分野によって基準がかなり違うようです。 分野を盛り上げるにはある程度甘くした方がいいでしょうし、レベルを保つには厳しくする必要があります。 でも甘い分野も厳しい分野もそれなりに生き残っているということは、結局どっちにしても大差ないという考え方もできます。  電子ジャーナルなら、紙面の都合とかもそれほど心配する必要はないでしょうし、いい論文を落とすならゴミ論文を通す方がよいと個人的には思います。

・評価との連動
 学位を取るために査読付き論文何本とか決めているところも多いようですが、これがまた投稿論文数の増加につながっています。 それ以外にも個人評価や組織評価で Impact factor というのも査読システムをややこしくしている悪役の一人だと思います。 自前で評価できないのでこういう数値に頼るというのはどうかと思うのですが。

さて、これらのことを考えているうちに思い出したのが表題にある RAAG です。
RAAG というのは近藤一夫先生という方が主催していたジャーナルで、

「ちまたにある論文誌はみんな堕落しているから投稿してはいかん(堕落という表現はちょっと記憶が不確か。不純とか俗っぽいとかそういう表現だったかも)。 RAAG にだけ投稿しなさい」

と、弟子の伊理正夫先生や甘利俊一先生にほかのジャーナルへの投稿を禁じたという話です(だから近藤先生のお弟子さんの paper list を見ると最初の方は RAAG のはず)。
RAAG は近藤先生が亡くなられる 2001 年までずっと近藤先生の手作り状態で続いていたようです。 近藤先生がご存命の頃、現在私の隣の部屋にいる大津展之さんがよく近藤先生に呼び出されて TeX の環境整備などの下働きをしている話を聞きました。

今回 RAAG について書こうと思ってネットで検索してもなかなかヒットしませんでした。
近藤先生についても非常に情報は少ないです(Wikipedia にもない)。
ただ、海外の方で ArXiv に情報を載せている人がいました。
近藤先生が退官された 1973 年以降 2001 年までの RAAG は post-RAAG と呼ばれているらしいですが、最近のどこに行けば見られるのかわかりません。
あと、近藤先生そのものもかなりユニークな方だったようですが、あまり詳細が後世に伝わらないのは残念ですね。

ちなみに RAAG は Research Association of Applied Geometry の略です。
私が大学院生の頃、研究室に「応用幾何学研究室」という木の看板があったのですが、これは RAAG の名残りでしょう。 先日村田昇さん@早稲田に聞いたら現在は村田さんが保有しているとのことでした。 研究関係の骨董に関心のある方は村田さんまで^^;。

ちょっと話がとりとめなくなってしまいましたが、情報化が進んでもっと研究に打ち込めるようになるかと思いきや、なんだか逆に雑用で忙しくなってしまっているのがちょっと腑に落ちないところです。
スポンサーサイト

素数の逆数の和は10以下

...たぶん今世紀中は.

というのはもちろんエイプリルフール的なジョークです.
というわけで今日は IBIS とはあまり関係ない雑談モード.

これは以前 O 大学の数学科の先生に聞いた話で私のオリジナルではありません.

市民講座みたいなところで某先生が講演されて,素数の逆数の和が無限である
という説明をしたそうです.
すると聴衆の中から高校生が

「これまでにわかっている素数だけの逆数の和はどれぐらいなんですか?」

という質問をしたそうです.
唐突な質問にその場ではむにゃむにゃとお茶を濁した先生が後で調べたところでは
これまでにわかっている素数の逆数の和はせいぜい 4 くらいということが判明.
今世紀中に10まで行けるかどうかという話です.

全部足せば無限に発散するもののうち,わかっているものだとたった4にしかならない
というのはなかなか衝撃的ですね.

もう少し具体的に考えてみると,まずこの素数の逆数の和は n までで log(log(n))
でよく近似できることがわかっています.
コンピュータで扱える 64 ビットの数の最大値を 2^64 としてこれの loglog を
取ると約 3.79 です. 単純にエラトステネスのふるいでここまでできたとすると
約 4 ということになります.
この路線で10まで行くためには 2^64 の400倍ぐらいの桁数の数まで扱う必要が
あり,これは今世紀どころか人類滅亡するまで無理そうな気がします.
素数についてはメルセンヌ素数とか特殊な形の素数もあり,そういうのは大きいのも
わかっていますが,そういうのの逆数を足してもほとんどゴミにしかなりません.
たぶん素数の無限系列が発見されなければとても無理でしょう.
それでも n^2 + n + 41 という形の素数(オイラー素数,しかも全部は素数じゃない)
でも逆数の和にしちゃうとたいした数にはなりません.
loglog おそるべしです.

それにしても素数に代表される数論の世界というのは人気がありますね.
単なる数ですからものすごく身近で,未解決問題と言われているものも問題自体は
非常にわかりやすく,中学生のときにフェルマー予想の証明とか誰しも考えたこと
と思います. 入りやすいわりにものすごく奥が深くて,フェルマー予想も一般の
場合の議論とか,リーマン予想とかになるともはや多くの人はついていけないでしょう.

それでもフェルマー予想を初等的に証明したとかいう人は後を絶たないし,
フェルマー予想の本も山ほど出ていてよく売れています.
学習理論もいろいろ面白い話はあると思うのですが,そこに至るまでに数論ほど
容易でないということはあるのでしょうね.

さて,最初に書いた素数の逆数の和ですが,

・「理論的には無限になる」
・「実際にわかっているものだと4とかにしかならない」

という相反する主張となり,これは昨今“何の役に立つんだ”的な議論を
思い起こさせます.

数学的には前者の立場が圧倒的に強くて,そこからそれこそ無限の数学的な広がり
につながっていくということだと思います. 私も前者には美を感じます.

一方,後者の立場は現実的には有用な知見ということかもしれません.
これも数学的にまったくつまらないというわけでもなく,その非自明さには
それなりにおもしろさがあるわけです.
だけど,前者を切り捨てるというような議論はおかしいでしょう.

研究の世の中も重点化と称して一つの価値観で進んでいく傾向がありますが,
研究は多様な価値観を認めて分散投資していくべきだと思うのです.
(研究のポートフォリオをやるという話はよくありますが,研究の不確定性の大きさを
ほとんど見ていないような気がします.)

FC2Ad