朱鷺の杜(IBIS)ブログ

情報論的学習理論(IBIS)に関する管理人の独断と偏見に満ちた意見

会議もろもろ

普段は結構出不精な私だが,5月の ICASSP2011 (プラハ) という信号処理の国際会議にはじまり,6月にはヨーロッパのニューラルネットワークソサイエティが主催する ICANN2011 (ヘルシンキ),そしてその直後に続いた 第5回IBISML 研究会 + Latent Dynamics ワークショップ (東大) と立て続けに参加した.
# 余談だが,IBISML 研究会は通し番号で回数を記録していくようで,積み重ねを感じられる面白い試みかも.

本来は一つ一つの会議について詳細なレビュー記事を書く方が世の中のためになるかも知れないが,まだ時差ボケ気味なのと,不在にしていたツケがまわって猛烈に忙しいので,未整理だが雑談風にいろいろメモしたことなどを書いておく.

どの会議もそれぞれ特徴があり楽しめた. ICASSP は信号処理のデパート的な会議で参加者数も発表の幅広さも半端ではない. 特徴的だったのは(自分が出たセッションがそれだったこともあるが)圧縮センシングやスパースについての発表が目立っていたこと.

その一方 ICANN は非常にこじんまりとした会議だったが(最初は会場を発見するのも大変だった!),招待講演が非常に充実していて Hinton, Tennenbaum, Hyvarinen, John Shawe-Taylor などといった大御所たちの講演が聴けた. それ以外の部分のオーガナイズはかなりいい加減だったが,参加者が自助努力することによって手作り感を感じることができる部分もあった. そもそも国際会議は「社交場」というのも重要な役割であり,主催者側もその辺り割り切っている感じだった.

最後の IBISML + LD は帰国したばかりでかなり息切れしていたのだが,実は上記国際会議を含めた今回の一連の会議の中で LD の発表が一番面白かった. NIPS など超一流の国際会議ももちろん面白いのだが,いわゆる「完全な研究」しか通過しない状況のようなので,ああいう会議に出ると感じるのはいわゆるショーウィンドーの中の完成した宝石を鑑賞している気分になること. 研究者を宝石職人に例えれば,自分もあれぐらいの仕事をしないといけないという緊張感は感じるし,最新の技術などについての情報も得られるのは確かだが,隙のない研究が多く,自分の研究がインスパイアされるネタは意外に少ない(それだけの鑑賞力がないというだけかもしれないけど). 一方,workshop のような中で impromptu talk や lightening talk と言われる発表は採掘場での原石品評会といった雰囲気. まさに玉石混淆だが,自分ならどうやって磨いてやろうかというアイディアがいろいろ出てくるという楽しさは大きい.

さてそのほか,いろいろな会議に出てつらつら思ったこと.


その1. よいポスターの聞き方

よいポスター発表の仕方というのはよくあるが,よいポスター発表の聞き方というのはあまりない. ぼーっとしているとあっというまに時間が過ぎてしまうので私もよい聞き方というのを習得したいのだがなかなか難しい.

面白そうだと思っても,下手なポスターに捕まって延々と説明されるとほかのポスターを聞く時間がなくなってしまう. ポスターセッションの特に最初のころにはこの微妙な駆け引きが発表者と聴衆の間で繰り広げられる. よくやられる作戦は,ほかの人に説明しているのを聞いて探りを入れ,大丈夫そうだと思ってから本格的に聞くというパターンである. しかし,あまり躊躇していると大人気のポスターだといつまで待っても説明が聞けずじまいということもある.

最近はポスタープレビューというのも広まっているのでそういうのをちゃんと聞いたり,アブスト集でマメに予習するというのも大切かもしれない (不精者の私にはなかなか難しいけど).


その2. 腹八分目に医者いらず

オーラルでもポスターでも,よくある80-20の法則という観点で行くと,「80%の発表では,80%の聴衆が20%しか理解していない」ということがある (80とか20とかの数値はあくまでたとえだが). まあそれが悪いということではなく,発表する方も聞く方もあまり欲張りすぎないというのが大事で,本当に知りたければ細かいことは論文を読むというのが消化不良を起こさず楽しく会議に参加できるコツかなと(もちろん強靱な理解力を持っていて消化不良など起こさないという自信があれば何もいうことはないけど).


その3. 質問・コメント時間

会議に参加して難しいなと思うのは,質問・コメントの仕方である.
たいてい質問・コメント時間は非常に短いので,下手な質問はできないという抑制がかかる.参加人数が多い会議ではなおさらである. 現状では質問・コメントタイムは現状ではそれほど有効には働いていないのでなんとかすべきなのかもしれない.

とりあえずいくつかの質問・コメントの類型化をしてみた

・単純な質問
質問者が単純に理解できなくて質問するケース.上の80-20の法則でいくと,潜在的にはこういう質問をしたい人が多いはずなのだが,時間が限られている中で一番抑制がかかるのがこのタイプであろう (わからないところがわからないということも多いけど). それでもあえてこの質問ができるのは「中身はほとんど理解できていて,この分野の動向にも詳しいが,本質的なところで不明なところがある」というエキスパートのみである.

・敵対的コメント
ベイズと非ベイズのように,単に立場が違う人が自分の立場を正当化するためにするコメント. まあ聴衆としてはこういったバトルは見せ物としては面白いのだが,短時間ではとても解決しない泥沼的な状態に陥りがちである.

・指導的コメント
まだ発表や研究といったものに不慣れな学生さんに対して指導してあげるコメント. 下手をすると上の敵対的コメントのようになる場合もあり,また光る原石的なアイディアを既成の概念や価値観でつぶしてしまいかねないこともあり,非常に難しいと思うのだが,コメントとしてはやりやすいのでこれは幅をきかせている一つのタイプである. まあ実際重要だけどあまり適切なコメントも聞いたことがない. 自分でも無理だけど.

・自己アピール的コメント
自分のプレゼンスのためだけにエキスパートがするコメント. これは最初の単純な質問でエキスパートがする場合にも通じるのだが,多くの場合質問の形を取っていても質問者は答えを知っている,あるいはまともな答えがないことを知っているというタイプ. 限られた質問・コメント時間では,どうしてもこういうタイプの質問が中心となるし,若い人でも鋭い切り口でコメントすれば自分のプレゼンスを高めるのに利用できると思うので逆に利用してがんばってもらいたい.

・儀礼的質問・コメント
発表者にとって質問やコメントが出ないというのは寂しいことではある. 質問・コメントがなかったときに,つまらなかったからコメントがないのか,よくできたプレゼンで疑問点や反論が特にないということなのか区別がつかない. 後者の場合にそれを示すためにとってつけたような質問をすることがある. まあこれは毒でも薬でもないからいいのだが,今流で言えば「いいね!」ボタンを押すというようなやり方でもいいかもしれない.


会議によってはあらかじめ査読して議論のポイントも明確にしておくというやらせ?のような質問・コメントタイムもあるようだが,ある程度そういう前準備をするというのも建設的な議論をするためにはいいアイディアかも知れない.
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