朱鷺の杜(IBIS)ブログ

情報論的学習理論(IBIS)に関する管理人の独断と偏見に満ちた意見

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勉強会に出て思ったこと

大きなイベントや書評だけで更新しているとほとんど更新できないので,ツイッターに書くような雑談ネタをこちらにも書いてみる.

8/4に鹿島さん@東大の企画された icml2011 の読み会 に参加した. スライド等上がっているので内容についてはそちらを参照.

いくつかの研究では,取って付けたような ad hoc な手法を付け加えて無理矢理実験でパフォーマンスを出そうとしている節のある研究がちらほら.

そんなの付け加えなくても十分面白い,というか,付け加えたことによってなんか論文の価値が下がっているような気がしてしまう.

実験ですぐにいい数字が出るような研究は「今」の技術であり,それはそれで有用だと思うが,逆に「未来」が感じられるような研究はすぐにパフォーマンスがでなくて普通だと思う.

だが,国際会議でもジャーナルでも「今」と「未来」を分けたりしていないので,「未来」の研究でも「今」風の対応を迫られてしまう.

機械学習が即効的に世の中の役に立つようになってから,その傾向が増したような気がする. パフォーマンスを出すためにはどうしても泥臭い技術をいろいろ組み合わせる必要がある. システム的な研究ではもろにそれをやるわけだが,みんながそれをやる必要もないだろう.

だいたい論文を読むときにも,そのコアとなる部分に面白さがあるわけで,余計なことをいろいろ付け加えて無駄に長くなった論文を読むのも無駄な労力だ.


というようなことを思ったのだが,それとは別に,「手法・数理」に愛があるか,「目的」に愛があるか,という二つの立場はやはりパフォーマンスに対して違った価値観を持っているような気がする.

例えば,機械学習の応用が著しい画像・音声・自然言語・バイオインフォなどの分野の研究者の人は,やはりその応用分野におけるパフォーマンスが出ることが一義的である.

それらの分野の人も理論的なものの重要性を認識している人は少なからずいるが,それはあくまでパフォーマンスを長期的に上げていくには理論的にしっかりしたものでないとだめだという認識からであり,手法の持つ数理が気持ちいいと思っているわけではないだろう.

一方,数理っぽい人は,この二つにこんな関係があったんだ,とか,式を計算していったらこんな美しい式が出てきた,とかを知ることに喜びを感じるのであって,それがどんな応用に使われるかについてさして関心はない.

もちろんこれらは両極端な例であって,実際は車の両輪の関係だからどちらが欠けてもだめだと思うが,機械学習が応用分野を広げるに従って少々数理っぽい人の居場所が狭くなってきたような気がする.
(というわけでまあ愚痴ってるだけって気もしてきた)



論文が長い,という話を上の方に書いたが,論文をもっと短くコンパクトに,できれば一つだけのネタで書いてもらいたいというのが読む方からの願望でもある. 

学位の要件として学術誌や国際会議論文をオーソリティとして使うという慣習が横行しているせいか,学位論文そのままのような長大な論文なんかも多い. 

また,似たようなネタで複数に分けていることもよくあり,それ自身は悪くないと思うが,違う論文であることをことさら強調するためにやたらといいわけがいろいろ入ったり,また同じようなイントロを何度も読む羽目になったりする.

本来レターというのはそういう目的に使われるはずであるが,例えば Neural Computation の letter は実質フルペーパーであり誰も規定のページ数なんか守ってない. 物理や数学なんかでは歴史が長いだけあってそのあたりわりとちゃんとしているような気がするが,情報系もそんな感じにならないのだろうか.

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