朱鷺の杜(IBIS)ブログ

情報論的学習理論(IBIS)に関する管理人の独断と偏見に満ちた意見

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会議もろもろ

普段は結構出不精な私だが,5月の ICASSP2011 (プラハ) という信号処理の国際会議にはじまり,6月にはヨーロッパのニューラルネットワークソサイエティが主催する ICANN2011 (ヘルシンキ),そしてその直後に続いた 第5回IBISML 研究会 + Latent Dynamics ワークショップ (東大) と立て続けに参加した.
# 余談だが,IBISML 研究会は通し番号で回数を記録していくようで,積み重ねを感じられる面白い試みかも.

本来は一つ一つの会議について詳細なレビュー記事を書く方が世の中のためになるかも知れないが,まだ時差ボケ気味なのと,不在にしていたツケがまわって猛烈に忙しいので,未整理だが雑談風にいろいろメモしたことなどを書いておく.

どの会議もそれぞれ特徴があり楽しめた. ICASSP は信号処理のデパート的な会議で参加者数も発表の幅広さも半端ではない. 特徴的だったのは(自分が出たセッションがそれだったこともあるが)圧縮センシングやスパースについての発表が目立っていたこと.

その一方 ICANN は非常にこじんまりとした会議だったが(最初は会場を発見するのも大変だった!),招待講演が非常に充実していて Hinton, Tennenbaum, Hyvarinen, John Shawe-Taylor などといった大御所たちの講演が聴けた. それ以外の部分のオーガナイズはかなりいい加減だったが,参加者が自助努力することによって手作り感を感じることができる部分もあった. そもそも国際会議は「社交場」というのも重要な役割であり,主催者側もその辺り割り切っている感じだった.

最後の IBISML + LD は帰国したばかりでかなり息切れしていたのだが,実は上記国際会議を含めた今回の一連の会議の中で LD の発表が一番面白かった. NIPS など超一流の国際会議ももちろん面白いのだが,いわゆる「完全な研究」しか通過しない状況のようなので,ああいう会議に出ると感じるのはいわゆるショーウィンドーの中の完成した宝石を鑑賞している気分になること. 研究者を宝石職人に例えれば,自分もあれぐらいの仕事をしないといけないという緊張感は感じるし,最新の技術などについての情報も得られるのは確かだが,隙のない研究が多く,自分の研究がインスパイアされるネタは意外に少ない(それだけの鑑賞力がないというだけかもしれないけど). 一方,workshop のような中で impromptu talk や lightening talk と言われる発表は採掘場での原石品評会といった雰囲気. まさに玉石混淆だが,自分ならどうやって磨いてやろうかというアイディアがいろいろ出てくるという楽しさは大きい.

さてそのほか,いろいろな会議に出てつらつら思ったこと.


その1. よいポスターの聞き方

よいポスター発表の仕方というのはよくあるが,よいポスター発表の聞き方というのはあまりない. ぼーっとしているとあっというまに時間が過ぎてしまうので私もよい聞き方というのを習得したいのだがなかなか難しい.

面白そうだと思っても,下手なポスターに捕まって延々と説明されるとほかのポスターを聞く時間がなくなってしまう. ポスターセッションの特に最初のころにはこの微妙な駆け引きが発表者と聴衆の間で繰り広げられる. よくやられる作戦は,ほかの人に説明しているのを聞いて探りを入れ,大丈夫そうだと思ってから本格的に聞くというパターンである. しかし,あまり躊躇していると大人気のポスターだといつまで待っても説明が聞けずじまいということもある.

最近はポスタープレビューというのも広まっているのでそういうのをちゃんと聞いたり,アブスト集でマメに予習するというのも大切かもしれない (不精者の私にはなかなか難しいけど).


その2. 腹八分目に医者いらず

オーラルでもポスターでも,よくある80-20の法則という観点で行くと,「80%の発表では,80%の聴衆が20%しか理解していない」ということがある (80とか20とかの数値はあくまでたとえだが). まあそれが悪いということではなく,発表する方も聞く方もあまり欲張りすぎないというのが大事で,本当に知りたければ細かいことは論文を読むというのが消化不良を起こさず楽しく会議に参加できるコツかなと(もちろん強靱な理解力を持っていて消化不良など起こさないという自信があれば何もいうことはないけど).


その3. 質問・コメント時間

会議に参加して難しいなと思うのは,質問・コメントの仕方である.
たいてい質問・コメント時間は非常に短いので,下手な質問はできないという抑制がかかる.参加人数が多い会議ではなおさらである. 現状では質問・コメントタイムは現状ではそれほど有効には働いていないのでなんとかすべきなのかもしれない.

とりあえずいくつかの質問・コメントの類型化をしてみた

・単純な質問
質問者が単純に理解できなくて質問するケース.上の80-20の法則でいくと,潜在的にはこういう質問をしたい人が多いはずなのだが,時間が限られている中で一番抑制がかかるのがこのタイプであろう (わからないところがわからないということも多いけど). それでもあえてこの質問ができるのは「中身はほとんど理解できていて,この分野の動向にも詳しいが,本質的なところで不明なところがある」というエキスパートのみである.

・敵対的コメント
ベイズと非ベイズのように,単に立場が違う人が自分の立場を正当化するためにするコメント. まあ聴衆としてはこういったバトルは見せ物としては面白いのだが,短時間ではとても解決しない泥沼的な状態に陥りがちである.

・指導的コメント
まだ発表や研究といったものに不慣れな学生さんに対して指導してあげるコメント. 下手をすると上の敵対的コメントのようになる場合もあり,また光る原石的なアイディアを既成の概念や価値観でつぶしてしまいかねないこともあり,非常に難しいと思うのだが,コメントとしてはやりやすいのでこれは幅をきかせている一つのタイプである. まあ実際重要だけどあまり適切なコメントも聞いたことがない. 自分でも無理だけど.

・自己アピール的コメント
自分のプレゼンスのためだけにエキスパートがするコメント. これは最初の単純な質問でエキスパートがする場合にも通じるのだが,多くの場合質問の形を取っていても質問者は答えを知っている,あるいはまともな答えがないことを知っているというタイプ. 限られた質問・コメント時間では,どうしてもこういうタイプの質問が中心となるし,若い人でも鋭い切り口でコメントすれば自分のプレゼンスを高めるのに利用できると思うので逆に利用してがんばってもらいたい.

・儀礼的質問・コメント
発表者にとって質問やコメントが出ないというのは寂しいことではある. 質問・コメントがなかったときに,つまらなかったからコメントがないのか,よくできたプレゼンで疑問点や反論が特にないということなのか区別がつかない. 後者の場合にそれを示すためにとってつけたような質問をすることがある. まあこれは毒でも薬でもないからいいのだが,今流で言えば「いいね!」ボタンを押すというようなやり方でもいいかもしれない.


会議によってはあらかじめ査読して議論のポイントも明確にしておくというやらせ?のような質問・コメントタイムもあるようだが,ある程度そういう前準備をするというのも建設的な議論をするためにはいいアイディアかも知れない.

研究会と動画配信

Youtube やニコニコ動画をはじめ最近はなんでも動画で見られます.
研究関係でも,国際会議や研究会を動画としてリアルタイムあるいは録画したものを放映するのが
広まりつつあります.

アカデミックなものとして有名なのは videolectures.net で,例えば神嶌さんの招待講演も
こちらで簡単に見られます.

それをもっと誰でもできるようにしたのが ustream (だと思います.よく知らないので) で,
先日あった tsukuba.R の ust も私は家にいてほかの用事などしながらナナメ見していました.

大都市近辺にいる人は直接参加することができる場合も多いでしょうが,地方にいてなかなか会合に出られないような人でも,ust で流れていればすごく手軽に聴講できるようになる画期的な道具だと思います.

期日が6/14,15と迫っているのでちょっと難しいかも知れないのですが ibisml の研究会でも ust 配信できるといいなあ
などと思ってちょっと twitter でつぶやいてみました.

実際には研究会の規定だの,発表者・参加者のコンセンサスを取るのが大変など諸々の問題があり,
すぐにとは行かないでしょうが,技術的にはすぐにできる話なので,今後研究会などは ustream 配信が当たり前になる時代が来るのではないかと思います.

twitter でも「キーノートスピーカー的な人や、ust希望者だけ中継、という折衷案でも、全然コミュニティ活性化に役立つ気がします!」というコメントがありました.

書いた後すぐに思いついたのでちょっと追記: あまりネット配信するとリアルの参加者が減るのでは?という懸念もあるかもしれないですが,私はあまりその心配はいらないと思っています. やっぱりリアルに顔を合わせることには別にたくさんメリットがあると思います.

勉強会のすすめ ---「樺島君とゆかいな仲間たち」の思い出

しばらく前の神経回路学会誌に神経回路学会20周年ということで,
分野を代表する方々がいろいろな思い出を書かれていました.
われわれの年代では本村さん(産総研)が昔の話を書いていたので
私も昔話を書こうと思います(私の名前も出てきて感謝です>本村さん).

こういう話は年寄りじみてて一度没にしかけたのですが,
何かしらの意味はあるかもしれないと思い直して投稿してしまいます.

かつて,一部の人に伝説的となっている「樺島君とゆかいな仲間たち」
という勉強会のような集まりがあり,私の研究人生にも大きな影響がありました.

それ以前の背景として,90年代半ば頃,通産省の
「リアルワールドコンピューティングプログラム」(略称 RWCP)というものがあり,
その中で「確率的知識の利用ワークショップ」という理論系の研究会を,
当時電総研の大津さんや麻生さん,理科大の上坂先生などを中心にやっていたのが
ちょうど96年頃まででした.

その後97年頃になって,理研の村田さん(現・早大)の呼びかけで,まだリコーにいた
福水さん(現・統数研)と樺島さん(東工大)を中心に若手の会のような
ものとして企画されました. そんな関係で私にもとりあえず声をかけて頂き末席を汚させて
いただいたわけです.
ちょうど理研関係で岩本町の科振費の会議室が使えたので別名岩本町ミーティングとも
呼ばれていましたが,当時から抜群の存在感の樺島さんの名前を取って「樺島君とゆかいな仲間たち」
という名前になりました.
99年ぐらいまで続きましたがみなさん忙しくなってきて自然に終了しました.

メンバーは理研からは中原さん&池田思朗さん(現・統数研)が加わり,渡辺澄夫さん(東工大),
本村さん(産総研)などもいました.
内容としては独立成分分析やTAP平均場近似の話から特異点の学習理論の話,グラフィカルモデルや
アンサンブル学習などまさに研究が大きく発展していこうとしているテーマを間近で
聞けたのは非常に有意義な体験でした.
自分自身はあまり貢献していない気がするのが少々残念ですが.

人数はだいたい総勢でも10名前後で,今思うとちょうどいい規模でした.
やはり密な議論をするには高々10人程度が限度だと思います.
それ以上の人数で,しかもあまり知らない人の集まった研究会とかだとどうしても遠慮が出て
若者が自由に発言したりするのははばかられます.
当時はそれこそ朱鷺のように絶滅危惧種の研究者たちだったので,
集まっても人数は知れていました.
今は時流に乗っているので同じ世代に限定してもすぐに大人数になってしまう危険が
あり,オーガナイザが力量を問われる難しい時代ですね.

以下に機械学習関係で私の知っているものを挙げておきます.ほかにもたくさんあるでしょうが.

・東工大の杉山さんなどを中心とした T-PRIMAL

・関西だと大羽さんや持橋さんがやられているというサークルK

・twitter で私がフォローしている人の参加者の多いR の勉強会 Tsukuba.R
つくばでやっているにも関わらずまだ参加できたことはありませんが.

・ビショップ本の勉強会もいろいろなところで行われているようです たとえばこれ:生駒読書会
これも北千住まで行けば近そうなんだけど...

勉強会のメリットはいろいろあると思いますが,研究のモチベーションが高まるというのが
私には一番大きかったと思います.
孤独に部屋に籠もってリーマン予想を考える,というタイプの人は一人でもモチベーションを
高め続けられるでしょうが,凡人ではついつい怠けてしまい,研究も停滞してしまいます.
ところが勉強会とかだと不思議なことにいくらでも集中力が持続できるのですね.

職場の中に近い分野の研究者の人がいる場合には特にこういう勉強会みたいなものは不要なのかも
知れないですが,なかなか同世代で近い人というのは少ないものです.
年配の権威ある先生(上司)から教えを受けたり,ずっと年下の若い人を教育したりするのも,それは
それで非常に意義あることなのですが,プライベートな話をしたりできるもっとも気楽
なのは同世代ではないでしょうか(当時はアフターの飲み会で車の話ばかりしていた気がします).

あと,あまり組織などからオーソライズされない自由な雰囲気で集まれるものというのも必要な
要素かも知れません.

以上,私個人の経験をもとに勉強会への参加のお勧めでした.

RAAG のことなど

電子情報通信学会の特集号「学習・最適化における大規模アルゴリズム」の編集作業が
ほぼ終了しました。 7月掲載予定です。 詳細については出版されてからまた書こうと思います。

あと、しましまさんから教えてもらったのですが、新たに岩波本に関する感想が出ていました。 sesejun さんブログです。
内容的には著者の意図をきちんとくんでくださった上に、いろいろほめていただいており一安心。 ただ、例題がないという欠点が指摘されています。 確かにその辺りの気配りが少々足りないような気はします。 このシリーズは教科書というよりは読み物的なものとして企画されたので、ある程度は仕方ないのですが、できればサポートページでも補っていきたいと思います
(ただし、それ以前にサポートページの更新をさぼっているのであまり風呂敷を広げて大丈夫?という話はありますが...)

追記:その後のsesejun さんのエントリー 線形回帰、カーネル線形回帰をRで実装するがすばらしすぎます.
サポートページからリンクを張ってお茶を濁そうかと^^;;;

さて、特集号に話を戻すと、この手の仕事ははじめてだったのですが、特集号は、ふだん事務局がやる編集作業をすべてやることができる(しなければならない)というすごい仕様になっており、
その大変さを思い知らされました。 まあそれはともかく忙しい中ボランティアで引き受けてくださった査読委員の方々、編集委員の方々には感謝の気持ちでいっぱいです。

そしてもちろん投稿していただいた方々にも感謝です。 結果的に非常に厳しい採択率になってしまいましたが、不採録になった論文も(私の個人的な意見ですが)かなりレベルの高いものが多かったように思います。 
今までにも何度も書いていますが査読というシステムは改善の余地が多いと思います。

・編集委員・査読委員に異常に負担がかかる。
 査読システムをなくして研究に打ち込めば今の何倍も研究が進むでしょう。 査読は時間がかかる割にモチベーションもわかず、ついつい後回しになり、気づくとすごくたまってしまうという悪循環に陥ります。 そもそも論文の内容についての責任は著者が取るべきだから、査読委員は新規性とか有効性とかに点数をつけるだけで十分という気がします。 それだけでずいぶん負担が減ると思います。

・判定基準が委員や分野によってまちまち。
 特集号などでは、ある程度編集委員会で意志の疎通が図れますが、通常はたまたま当たった査読委員や編集委員の個人的な基準にかなり左右されます。 また、分野によって基準がかなり違うようです。 分野を盛り上げるにはある程度甘くした方がいいでしょうし、レベルを保つには厳しくする必要があります。 でも甘い分野も厳しい分野もそれなりに生き残っているということは、結局どっちにしても大差ないという考え方もできます。  電子ジャーナルなら、紙面の都合とかもそれほど心配する必要はないでしょうし、いい論文を落とすならゴミ論文を通す方がよいと個人的には思います。

・評価との連動
 学位を取るために査読付き論文何本とか決めているところも多いようですが、これがまた投稿論文数の増加につながっています。 それ以外にも個人評価や組織評価で Impact factor というのも査読システムをややこしくしている悪役の一人だと思います。 自前で評価できないのでこういう数値に頼るというのはどうかと思うのですが。

さて、これらのことを考えているうちに思い出したのが表題にある RAAG です。
RAAG というのは近藤一夫先生という方が主催していたジャーナルで、

「ちまたにある論文誌はみんな堕落しているから投稿してはいかん(堕落という表現はちょっと記憶が不確か。不純とか俗っぽいとかそういう表現だったかも)。 RAAG にだけ投稿しなさい」

と、弟子の伊理正夫先生や甘利俊一先生にほかのジャーナルへの投稿を禁じたという話です(だから近藤先生のお弟子さんの paper list を見ると最初の方は RAAG のはず)。
RAAG は近藤先生が亡くなられる 2001 年までずっと近藤先生の手作り状態で続いていたようです。 近藤先生がご存命の頃、現在私の隣の部屋にいる大津展之さんがよく近藤先生に呼び出されて TeX の環境整備などの下働きをしている話を聞きました。

今回 RAAG について書こうと思ってネットで検索してもなかなかヒットしませんでした。
近藤先生についても非常に情報は少ないです(Wikipedia にもない)。
ただ、海外の方で ArXiv に情報を載せている人がいました。
近藤先生が退官された 1973 年以降 2001 年までの RAAG は post-RAAG と呼ばれているらしいですが、最近のどこに行けば見られるのかわかりません。
あと、近藤先生そのものもかなりユニークな方だったようですが、あまり詳細が後世に伝わらないのは残念ですね。

ちなみに RAAG は Research Association of Applied Geometry の略です。
私が大学院生の頃、研究室に「応用幾何学研究室」という木の看板があったのですが、これは RAAG の名残りでしょう。 先日村田昇さん@早稲田に聞いたら現在は村田さんが保有しているとのことでした。 研究関係の骨董に関心のある方は村田さんまで^^;。

ちょっと話がとりとめなくなってしまいましたが、情報化が進んでもっと研究に打ち込めるようになるかと思いきや、なんだか逆に雑用で忙しくなってしまっているのがちょっと腑に落ちないところです。

素数の逆数の和は10以下

...たぶん今世紀中は.

というのはもちろんエイプリルフール的なジョークです.
というわけで今日は IBIS とはあまり関係ない雑談モード.

これは以前 O 大学の数学科の先生に聞いた話で私のオリジナルではありません.

市民講座みたいなところで某先生が講演されて,素数の逆数の和が無限である
という説明をしたそうです.
すると聴衆の中から高校生が

「これまでにわかっている素数だけの逆数の和はどれぐらいなんですか?」

という質問をしたそうです.
唐突な質問にその場ではむにゃむにゃとお茶を濁した先生が後で調べたところでは
これまでにわかっている素数の逆数の和はせいぜい 4 くらいということが判明.
今世紀中に10まで行けるかどうかという話です.

全部足せば無限に発散するもののうち,わかっているものだとたった4にしかならない
というのはなかなか衝撃的ですね.

もう少し具体的に考えてみると,まずこの素数の逆数の和は n までで log(log(n))
でよく近似できることがわかっています.
コンピュータで扱える 64 ビットの数の最大値を 2^64 としてこれの loglog を
取ると約 3.79 です. 単純にエラトステネスのふるいでここまでできたとすると
約 4 ということになります.
この路線で10まで行くためには 2^64 の400倍ぐらいの桁数の数まで扱う必要が
あり,これは今世紀どころか人類滅亡するまで無理そうな気がします.
素数についてはメルセンヌ素数とか特殊な形の素数もあり,そういうのは大きいのも
わかっていますが,そういうのの逆数を足してもほとんどゴミにしかなりません.
たぶん素数の無限系列が発見されなければとても無理でしょう.
それでも n^2 + n + 41 という形の素数(オイラー素数,しかも全部は素数じゃない)
でも逆数の和にしちゃうとたいした数にはなりません.
loglog おそるべしです.

それにしても素数に代表される数論の世界というのは人気がありますね.
単なる数ですからものすごく身近で,未解決問題と言われているものも問題自体は
非常にわかりやすく,中学生のときにフェルマー予想の証明とか誰しも考えたこと
と思います. 入りやすいわりにものすごく奥が深くて,フェルマー予想も一般の
場合の議論とか,リーマン予想とかになるともはや多くの人はついていけないでしょう.

それでもフェルマー予想を初等的に証明したとかいう人は後を絶たないし,
フェルマー予想の本も山ほど出ていてよく売れています.
学習理論もいろいろ面白い話はあると思うのですが,そこに至るまでに数論ほど
容易でないということはあるのでしょうね.

さて,最初に書いた素数の逆数の和ですが,

・「理論的には無限になる」
・「実際にわかっているものだと4とかにしかならない」

という相反する主張となり,これは昨今“何の役に立つんだ”的な議論を
思い起こさせます.

数学的には前者の立場が圧倒的に強くて,そこからそれこそ無限の数学的な広がり
につながっていくということだと思います. 私も前者には美を感じます.

一方,後者の立場は現実的には有用な知見ということかもしれません.
これも数学的にまったくつまらないというわけでもなく,その非自明さには
それなりにおもしろさがあるわけです.
だけど,前者を切り捨てるというような議論はおかしいでしょう.

研究の世の中も重点化と称して一つの価値観で進んでいく傾向がありますが,
研究は多様な価値観を認めて分散投資していくべきだと思うのです.
(研究のポートフォリオをやるという話はよくありますが,研究の不確定性の大きさを
ほとんど見ていないような気がします.)

モンテカルロ囲碁

しばらく研究会や講演会からごぶさたしていましたが,今日産総研で以前から噂には聞いていた
モンテカルロ囲碁の講演があったのでメモ.
(FC2ブログは1ヶ月更新しないと宣伝が入るという事情もありますが)

機械学習とからめて検索したらこちらでも少し前に話題になっていたようです. 詳しい情報はそちらで解説されているのでここでは単に感想や今日の講演で質疑で得られた情報だけ書いておきます.

講演者は以前電総研のゲームラボにも滞在されていた Martin Muller さんという方で,Fuegoというプロジェクトを進めていらっしゃいます.

ポイントはモンテカルロと探索木のテクニックを組み合わせているところで,どちらかだけだと弱いということのようです. まあいろいろ工夫はあるのでしょうが,基本的には単純な手法でよくこれだけ強くなれるものだなという印象です.

モンテカルロと言っても,かなり原始的なモンテカルロで,マルコフ連鎖とか,マルチカノニカル,マルチテンパリングなどといった高級な話は一切なし. ただ,ヒューリスティックでそれに近いことはやっている部分もあるみたいです.

一方平均場近似とかについても聞いてみましたが,それについては全く知見が得られず(平均場近似って何?って感じだった). 昔から平均場近似囲碁はいけるんじゃないかと思っているのですが,まだ未知数のようですね.

あとは強化学習との関連はかなり意識していました. もともと TD-Gammon 以来そのアプローチは考えられてはいて,ただ囲碁は複雑すぎるので Backgammon が限界だろうみたいな感じだったと思っていました. そういう流れからすると温故知新とも言えます.
逆に囲碁じゃない強化学習にモンテカルロを使うというのも来るかもしれませんね. すごく素人的な発言ですが.

ともかく今日聞いた話の感じでは,工夫する余地が山ほど合って,まだまだ強くなりそうです.

ちなみに先日 Fuego ではないですが Mogo というモンテカルロの囲碁プログラムを試してみましたが,噂に違わず9路盤では相当に強かったです. 互先でほとんど勝てませんでした.
期待値の高い手を打ってくるのですが,手厚くかつバランスのいい手を打ってきます.
19路だとさすがに手が広すぎて序盤は意味不明な手を打ってきます.

というわけで,ゲームの世界も機械学習が活躍できそうですが,こういうシステム系のプロジェクトは私にはあまり向いていないのでとりあえずは傍観モードというところでしょうか.

ノーベル賞

ICANN(プラハ)や神経回路学会(つくば)などいろいろ書きたいことは頭にはあったのですが、しばらくブログ書きは自制していました。 しかし日本人3人(yahoo.com とかで見ると 2 Japanese and 1 American ですが)のノーベル物理学賞受賞のニュースが入ってきたので思わずショートフォロー。

南部先生はやっと取れたという感じですね。 私が生まれるより前の研究ですよ。
ほんと生きているうちでよかった。 
ただ、ノーベル賞はたしかにすごいけど、やっぱりそれ自体は目標ではないと思う。
受賞の先生方のコメントからもうかがえるけど、ノーベル賞を受賞したことよりも、
自らの発見をした瞬間がきっと一番喜びが大きくて、そのあとにもらった賞はまさにセレモニーに過ぎないでしょう。

私もいろいろ選奨委員とかをするようにもなりましたが賞というのはかなり水ものだと思います。
自分の研究の価値は優れた研究者なら自分自身がいちばんよくわかるはずです。
それに対して他人の評価なんて結構いい加減なもの。

ただこの辺の事情はともかく、なんとなく経済も悪いし、これが契機となって研究政策自体が基礎シフトしてくれそうな予感がして少し期待しています。 
最近ちょっと世の中は応用志向が全体的に強すぎて、基礎が空洞化しているように思っていたところなので追い風になってくれるといいなと思います。

さて、一部の人にはわかりますが、例の件も大詰めでそれが終わったらリハビリをかねてブログ書きにでも専念しようかと思います(研究しろって?)。
【“ノーベル賞”の続きを読む】

人工知能学会誌「国際会議に通すための英語論文執筆」特集について

神嶌さんから面白いから読んでおくようにと指示されていた表題の特集号(2008年5月号)をやっと見た。
といってもぱらぱら眺めただけではあるが、確かに非常に参考になることがいろいろ書いてあって役に立つ。

最初の横尾先生の原稿の中の「本気で通したいか」というテーマはなるほどなあと思った。
私自身あまりインセンティブがなく、アマチュアと言われても仕方がない。
ただ、横尾先生はそこから先、アマチュア日本人研究者のインセンティブを上げるというテーマについては深くは書かれていないので、私のインセンティブもあまり向上しなかった。

次の鷲尾先生のイントロは情報科学分野の国際会議のもつ特殊性やその重要性について深く書かれており、昨今のいろいろな評価と絡んでうなずかされる点が多かった。 といってもぐうたらで飽きっぽい私には鷲尾先生のように緻密な研究計画はなかなか立てられないなあという感想である。

その次の佐藤泰介先生は国際会議やテーマについていろいろな分類をしており、これは前に産総研で聞いた話とも重なるのだが、博物学的で非常におもしろい。 といってもなかなか私の場合これを自分の研究戦略に生かしたりするのは難しかったりする。 このような分析はより定量的にその後の篠田・佐藤浩両先生の原稿でも視覚化されたものがあり面白かった。

最後に松尾先生が論文の完成度を上げるためにできることをいろいろ書いておられる。
まず、「典型的な失敗例」というのがまさに私のことだなあと思った。
次に、「論文の完成度と経験則」という題で、執筆時間と稿数との関係、稿数と質との関係について興味深い定量的な経験則を書かれていた。 
だが、私の性格から行くとここまでぎっちりはなかなかできない。 稿数が上がっても結局だらだらして執筆時間は短くならず、最初に書いたものにとらわれるので質もあまり上がらないのだ。

結論としてはもっとがんばんないと、ということになるが、やはり国際会議は査読の質が気になる。
これは何人かの先生が指摘されており、問題としては残っているものの、これは前提条件としてあきらめ、研究者はそれでもがんばるしかないという結論のようだ。 私の意見は査読システムそのものを改革しないとだめだというものだが、この話をするとたいてい大きな抵抗にあうのでもう少し理論武装しないとだめだろう。 それに弱小研究者一人ではどうせ何もできないので、Google あたりにすばらしいシステムを作ってもらうぐらいの後ろ盾がないと負け犬の遠吠えにしかならないと思う。
というわけでこれについてはもう少しあたたためてから。

それはともかく、今現在、私の性格がどうだろうと完成度を上げなければならない原稿を抱えているので、上記の各先生方の方法論を参考に改善させたいと思う。

これを書いた後少し近くの人と話をしたので追記。
【“人工知能学会誌「国際会議に通すための英語論文執筆」特集について”の続きを読む】

NHK ポアンカレ予想

このブログもずっと放置してあったのを最近久々に更新。
サーチワードを見てみると、一時期トップにあったパーティクルフィルタとかを抑えてペレルマンやポアンカレ予想が上位に。 ペレルマンについてのコメント
なんでだろうと思っていたのですが、NHKで特集を組むようですね。
正確には先月 BS hi-vision で放送されたものの焼き直し?が NHK スペシャルで2007年10月22日(月) 午後10時~10時59分総合テレビで放送されるようです。番組タイトル「100年の難問はなぜ解けたのか
~天才数学者 失踪の謎~ 」

こういう番組が放送されるというのは社会的なインパクトも大きいと思います。 基礎をやっていて「何の役に立つの?」などと不毛な突っ込みを受けて、最近何かと肩身が狭い人たちも報われるのではないかと少し期待しています。

パーティクルフィルタもポアンカレ予想も私自身の研究とはあまり関係ないのですが(特に後者は^^)、とりあえずそれを目当てに来た人のために番組情報を載せた次第です。


朱鷺の杜wiki引越し

朱鷺の杜wikiですが,しましまさんが独自ドメインに引越ししてくれましたのでお知らせしておきます.
新しいアドレスはhttp://ibisforest.org/index.php?FrontPageです.
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